人気ブログランキング |

江戸の敵を長崎で(PART 1)



 


江戸の敵を長崎で(PART 1)


 



(edokataki2.jpg)



(himiko92.jpg)




(himiko22b.gif)


デンマンさん。。。 どういうわけで江戸の敵を長崎でというタイトルにしたのでござ~ますかァ~?



(kato3.gif)


卑弥子さんは「江戸の敵を長崎で討つ」という諺を聞いたことがありますよねぇ~。。。


もちろん、ありますわ。。。 



江戸の敵を長崎で討つ


 



(edokataki3.jpg)


 


意味


1. 意外な所、時または筋違いなことで、過去の仕返しをすること。


 


例文




(hototogi2.jpg)


 


世の中の事は概して江戸の敵を長崎で討つものなり。


在野党の代議士今日議院に慷慨激烈の演説をなして、


盛んに政府を攻撃したもう。至極結構なれども、


実はその気焔の一半は、昨夜宅(うち)にてさんざんに高利貸アイスクリームを喫(く)いたまいし鬱憤と聞いて知れば、


ありがた味も半ば減ずるわけなり。




徳冨蘆花『不如帰』


語源


江戸で恨みを受けた相手を、江戸から離れた長崎で討ち果たすことから。


また、語源を「江戸の敵を長崎が討つ」とする説がある。


大阪に江戸の職人を凌ぐ大成功を収めた職人がいたが、長崎の職人が大阪でその職人を超える大成功を収めたということから。




出典: 「江戸の敵を長崎で討つ」
『ウィクショナリー』より



つまり、今日はデンマンさんが東京の敵を長崎で討ったお話をされるのですかァ~?



いや。。。 僕には東京の敵はいません。。。


じゃあ、バンクーバーの敵を長崎で討ったとかァ~。。。?


あのねぇ~。。。 僕には敵は居ないのですよゥ!


そんなことはござ~♪~ませんわァ~。。。 デンマンさんには奈良に敵がいますわよう。。。


。。。ん? 僕には奈良に敵がいる、と卑弥子さんは断定するのですか?


そうですわァ~。。。 あの悪名高い「現実主義者」と名乗る愚かな男がデンマンさんを敵と狙っているのですわよう。。。


 



(fool940.jpg)


『現実主義者 馬鹿の見本』


 



この愚か者が、どういうわけで僕を敵と狙っているのですかァ~?



ちょっと次の検索結果を見てくださいましなァ~。。。


 



(gog90829a.png)



『拡大する』


『現時点での検索結果』


 



「現実主義者 デンマン」を入れて検索すると、9、890件もヒットするのですわァ~。。。 つまり、デンマンさんが書いた 「現実主義者」と自称する あの愚か者を晒す記事がネット上に 少なくとも9,000件は溢(あふ)れかえっているのでござ~ますわァ~。。。



それで、あの愚か者は 逆恨みして僕を敵と狙っている、と卑弥子さんは断定するのですかァ~?


そうですわ。。。 足掛け3年にわたって、デンマンさんはしつこく この愚か者のことで記事を書いてネットで晒しまくっているのですものォ~。。。 敵と狙われて、デンマンさんの命がなくなることも充分に考えられるのですわァ~。。。 あの男はデンマンさんを長崎で出島の崖から落として殺そうと思っているのですわよう。。。


 



(fool950.jpg)


 



あのねぇ~。。。 それは卑弥子さんの個人的な思い込みですよ!



あの愚か者はデンマンさんを恨んでない、と言うのでござ~ますかァ?


もちろんですよ。。。 あの男は普通じゃないのですよ! 偏差値が30台のクソ大学を追い出されるようにやっと卒業させられたのです。。。 だから、常識的に考えても通用しないのです。。。 あの男は僕に晒されて喜んでいるのですよ!


まさかァ~。。。?


まさかァじゃありませんよ。。。 あの男は、自分の愚かな半生と経歴をネットで広めたいと伊藤先生のブログにコメントを書き込んで宣言したのですよ。。。


 



(fool911.jpg)


『現実主義者 馬鹿の見本』


 



あらっ。。。 オツムが多少ずれているのですわねぇ~。。。



そうですよ。。。 僕に晒されてスキップして喜んでいるのですよ!


 



(ame90816m.png)



『拡大する』


『現実主義者 馬鹿の見本』


『めれちゃんと現実主義者』


『世界一愚かな現実主義者』


 



(smilerol.gif)



わァ~~ うれしいなあああァ~。。。


オイラが登場する記事に


笑顔のかわいい女性が“いいね”を


付けてくれたのです!


どうしてオイラは女性に


感動を与えるのでしょうか?


この際、ゲイを返上して


ストレートに戻ろうかなァ~?


うへへへへへへへ。。。


 


とにかく、“いいね”もらえて


うれしいなあああァ~!


デンマンさんが、一生懸命に


オイラを晒して


有名にしてくれるのです!


国民栄誉賞がもらえるのも


時間の問題です!


 


もうこうなったら、恥も外聞もなく


天にも舞い上がる気持ちで


スキップしたいと思います。



(smilejp.gif)


わァ~~ うれしいなあああァ~。。。


ルンルンルン ランランラ~♪~ン


もう一つおまけに


ルンルンルン ランランラ~♪~ン


ああァ~、うれしいなあああァ~。。。


 



デンマンさん! やっぱし、この人 ちょっとオツムのネジが緩(ゆる)みすぎていますわよう。。。 おほほほほほ。。。



。。。でしょう!? だから、この男が僕を敵と狙って長崎で敵を討つようなことはあり得ないのですよ。。。


つまり、この事を言うために わざわざ江戸の敵を長崎でというタイトルにしたのでござ~ますかァ~?


違いますよゥ! 卑弥子さんが、この愚か者のことを持ち出したから、こういう事になってしまったのですよ! 僕は、この男の事を話すつもりはなかったのです。。。


じゃあ、いったい どなたの敵の事を取り上げようと思っていたのでござ~ますかァ?


実は、石田三成と明治維新 というタイトルにしようと思っていたのですよ。。。


あらっ。。。 豊臣秀吉の時代に生きていた石田三成が、明治維新と関係あるのでござ~ますか?


確かに、全く時代が異なるのだけれど、関係があるのですよ。。。


どのように。。。?


関が原の戦いで破れた石田三成の子孫が、徳川幕府を倒して明治維新を立ち上げたという事に関わっていたというのです。。。 つまり、江戸の敵を長崎で討ったのですよ!


マジで。。。?


ちょっと次の小文を読んでみてください。。。



石田三成の血統


 


杉山八兵衛の父、杉山源吾は、本名を石田重成と言い、戦国武将・石田三成の次男にあたる。
津軽の地に、なぜ石田三成の子孫が生きていたかというと、三成は秀吉に(津軽地方の大部分を制覇した)大浦為信からの鷹の献上を取り次ぎ、そのことを為信は恩義に感じていたようだ。


関が原の戦い前には、重成と為信の長男・信建は豊臣秀頼の小姓として大阪城で少年時代を過ごした。
さらに信建が大阪で成人した際、三成が烏帽子親となった関係でもあった。


関が原の戦いでは父の為信が東軍に、長男・信建は西軍に付いたが西軍の敗退が決まり、石田氏の居城である佐和山城も落城したことをキッカケに、信建は小姓仲間の重成に津軽への逃亡を手助けした。(略)
名前を杉山源吾に改め、その後、現在の杉山屋敷跡で生活したという。 (略)


杉山八兵衛は深味村に隠棲していたところ、寛永10年(1633年)、3代藩主信義に召し出されて弘前藩に出仕し、その後、深味は杉山氏の知行所となった。
津軽家には石田三成の三女・辰姫も、2代藩主・信枚の正室として嫁ぎ、のちに側室となって大館で短い生涯を終えた。
その子・信義は3代藩主となり、以降10代まで三成の血脈が続くことになる。


また杉山八兵衛も信枚の異母妹と結婚し、累進して1300石の知行を賜り、寛文6年(1666年)に本参侍の組頭となった。
そして寛文9年にシャクシャインの戦いで弘前藩の侍大将に任命された。


このように、津軽家は三成から受けたご恩に報いるため、三成の子孫を大切に育んできた。


 (134-135ページ)




幕末の弘前藩


鳥羽伏見の戦い以降、諸藩は新政府側と旧幕府側のどちらに付くか態度を決めかねていたところ、東北と上越各藩は奥羽越列藩同盟を結成して藩薩長の態度を示し、弘前藩もそれに同調した。
ちょうどその頃、(略) 新政府軍側への従軍を促す朝廷、近衛家及び岩倉具視の各書状を携え、アメリカ船で神戸から津軽を目指す者がいた。 (略)


この書状を受け取った12代・杉山八兵衛は藩論を新政府側に統一し、戊辰戦争では佐賀藩軍艦の野辺地攻撃後、野辺地戦争を仕掛けて旧幕府側の盛岡藩と交戦した。
その後、明治2年(1969年)には函館戦争に新政府軍 6,346名中約半数を占める数の弘前藩士が出兵した。


弘前藩惣隊長となった八兵衛は戦地の前線に斥候隊派遣するなど諜報活動を積極的に行い、勝利を勝ち取った。
こうして石田三成の子孫である杉山八兵衛は、これをもって旧幕府軍打ち破り、討幕を果たすことになる。


 (140ページ)



(ninja001.jpg)


(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『そろそろ本当の忍者の話をしよう』
監修: 山田雄司 著者: 佐藤強志
2018年10月1日 第2刷発行
発行所: 株式会社 ギャンビット



あらっ。。。 石田三成の次男は処刑されずに津軽に逃れたのでござ~ますわねぇ~。。。



そういうことなのですよ。。。 その子孫が12代目の杉山八兵衛で、旧幕府軍打ち破り、討幕を果たして江戸の敵を長崎で討ったわけですよ。。。


ところで、上の本は『そろそろ本当の忍者の話をしよう』というタイトルですわよねぇ~。。。


そうです。。。


でも、デンマンさんが引用した箇所には忍者が出てこないではありませんか!?


実は、登場しているのですよ。。。 でも、忍者だから姿を見せないのです。。。


マジで。。。?


津軽では忍者のことを「早道之者」と言ったらしい。。。


その「早道之者」が上の小文のうちに出ているのでござ~ますか?


出ているのです。。。 新政府軍側への従軍を促す朝廷、近衛家及び岩倉具視の各書状を携え、アメリカ船で神戸から津軽を目指す者がいた、と書いてあるけれど、この書状を持って津軽に戻った者が「早道之者」だったのですよ。



(foolw.gif)


 (すぐ下のページへ続く)


by denman1720 | 2019-08-31 04:17 | 日本語・日本文化 | Comments(0)

徒然に綴る面白いブログ


by denman1720