人気ブログランキング |

コッペパン (PART 1)



 


コッペパン (PART 1)


 



(koppe01.jpg)



(junko05.gif)




(junko11.jpg)


デンマンさんはコッペパンが好きなのですか?



(kato3.gif)


ジュンコさんはコッペパンが嫌いですか?


嫌いではありませんけれど、最近 コッペパンを見かけないですよね。。。


いや。。。 冒頭の写真のように 山崎パンがコッペパンを出してますよ。。。


デンマンさんは山崎パンの宣伝マンになったのですか?


いや。。。 僕は宣伝には興味がありません。。。


じゃあ、いったい、どういうわけでコッペパンを取り上げたのですか?


あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。




(kongari2.jpg)


 


私は19の時、大きな女子寮に住んでいた。


たたみ一畳が敷いてあるつくりつけのベッドと机が一つ入ったら人が通るのがやっとくらいの細長い小さな部屋で、壁が白くて日が当たらなかった。


マリちゃんの部屋は半分地下室で天井に近いところに窓があって、その窓から往来を通る人の足だけが見えた。


 


9時が門限だったので、夜遅く、その平べったい窓から、足とおしりをつっこんで、天井から降りてくる人のために、マリちゃんは肩車をしてやらなければならなかった。


 



(butt106b.jpg)


 


グラマーな友達はどうしてもおしりが入りきれなくて、それを見ていた向かいの交番のおまわりさんが、おしりを押してくれたりした。


夜なきそばが通ると、マリちゃんの肩車の上でどんぶりを受け取り大急ぎでそばをすすり込んでいる間じゅう、夜なきそばのおじさんは、その窓のそばで笛を吹き続け、おじさんの足だけが見えていた。


夜なきそばが食べられるのは、大したお金持のときだけで、夜中におなかがすくと、マリちゃんと私は、音もなく食堂にしのび込んで真っ赤なのりみたいなジャムをべったりぬったコッペパンを盗んで、私のベットにひっくり返って、ジャン・バルジャンになったみたいな気分になった。


 



(koppe03.jpg)


 


ベットから寝ころんで見えるところに私は、アメリカの「マッコール」という雑誌から破った料理の写真を、ベタベタ沢山はった。


私の部屋にはそれ以外の装飾物は何もなく、花一本なかった。


 


脂をしたたらしたローストビーフのかたまりに銀色のナイフが、ペロリとおいしそうなピンク色をしているのを一枚、今まさに切り落とそうとしているのとか、かんづめの黒桃が、とろりとかんから出かかっているのとか、花畑のようにオープンサンドが盛大に並んでいるのとかを見ながら、私たちは盗んだコッペパンを食べた。


 


私はなんにも食べるものがなくても、そのおいしそうな写真をながめずにはいられなかった。


 



(mcall1957.jpg)



(roastbf2.jpg)


 


 (著者:佐野洋子)


(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




97-98ページ 『こんがり、パン』
編者: 杉田淳子 武藤正人
2016年5月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社



あらっ。。。 佐野洋子さんは真っ赤なのりみたいなジャムをべったりぬったコッペパンを盗んで、ベットにひっくり返って、ジャン・バルジャンになったみたいな気分になって ジャムつきコッペパンを食べたのですわねぇ~。。。 つまり、デンマンさんも同じような経験をしたので、急にコッペパンが懐かしくなったのですか?



いや。。。 僕も松下通信工業で働いていたときに綱島寮に住んで、寮生活を体験したのだけれど、ほとんどすべて和食でしたよ。。。 カレーのような洋食が出ても、コッペパンが出た事はありませんでした。。。


じゃあ、いつコッペパンを食べたのですか?


小学校の給食の時間ですよ。。。 そのときのコッペパンは、今思い出しても不味くて、どうしてあんなに不味かったのかと不思議ですよ。。。


 



(koppe07.jpg)


 



どのように不味かったのですか?



ちょっと水分を含むとすっぱい味がするのですよ。。。 とにかく、コンビニで買って食べるコッペパンと比べたら、犬も喰わないような不味いコッペパンでした。



コッペパン



(koppe01.jpg)


 


コッペパンとは、紡錘形で、片手で持てる大きさの底の平たいパンである。


形状はフランスの「coupé(e)(クッペ)」パンや、アメリカ合衆国などで見られるホットドッグバンズ(英: hot dog bun)と似ているが、明治末期にアメリカでパンの製法を学び、
大正時代にイーストによる製パン方を日本で初めて開発した田辺玄平(たなべ げんぺい)によって考案され、日本独自の発展をしたパンである。


 


語源・起源


和製洋語であるが、「コッペ」の語源は確かではない。


一説にはフランス語で「切られた」を意味する(仏: coupé(e))にあるとされる(自動車のクーペと同語源)。
coupé は英語で言えば cut (過去分詞)に当たり、スライスされたり、サンドイッチ用に真ん中に切れ目を入れられたりした場合、もう一つは焼き上げる前の生地にナイフで切れ目(クープ coupe)を入れられた場合に、この語が用いられる。
日本の一部インターネット・サイトでは、切れ込みが入った紡錘形の小型フランスパンをクーペ(またはクッペ)として紹介しているが、フランスではパンの名称としてはまず聞かれないものである。
なお、クープを入れるフランスの小型バゲットはリーンタイプ(油分・糖類といった、小麦粉以外の材料が少ないパン)であり、リッチタイプ(小麦粉以外の材料が多いパン)である日本のコッペパンとは外皮の固さなど相違点が多い。


『日本国語大辞典』には、石川淳の『焼跡のイエス』(1946年)の一節「弁当用のコペが二きれはひってゐる」が引用として挙げられているが、より古くさかのぼって、太平洋戦争前の日本のシェフが、いわゆるフランスパンを「コツペー」と呼んでいる記録がある。


アメリカで修行し、アメリカ式製パン法の普及に尽力した田辺玄平を祖とする丸十製パンによれば、1919年に日本陸軍へ納入するために開発した、食パン生地を使った小型パンをもってコッペパンの元祖とし、丸十の「十」にちなんで毎月10日を「コッペパンの日」としている。


 


学校給食とコッペパン


学校給食が開始されると、献立の主食は1980年代頃まで、コッペパンが主食を担っている場合が多かった。
以下のような理由があった。


米飯の場合は、米を炊き、運搬、昼食時まで保管、配膳、食後は食器を洗うという、厨房設備の整備と、多くの手間が必要である。
コッペパンはそれらが省ける。
町のパン屋が委託され、学校給食用のパンを製造していることも多い。

また子供でも取り扱いが容易で、衛生的であり、トータルコストも低く済ませられる。


終戦直後の食糧難の時代に、進駐軍が小麦や脱脂粉乳を放出していて(ララ物資)、国産の米穀よりも入手が容易で、安価であった。
栄養的で食生活の改善に役立つ。
主食として飽きがこない。


1950年(昭和25年)当時の学校給食用パンの規格では、原料配合率は小麦粉100・砂糖3・マーガリン2・イースト2・食塩1.7、含水率は37%以下、製品重量は10食あたり1424gとなっている。


現在ではご飯食が主なので、パン食は週に1-2回程度。
コッペパン以外にも食パンやロールパン、クロワッサンなどの多種多様なパンが出されるため、昔に比べてコッペパンの登場回数は減っている。




出典: 「コッペパン」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



コッペパンを納入する業者が儲けをたくさん出すために、悪い安い古い小麦粉を使っていたのだと思うのですよ。。。 たぶん、進駐軍が放出した品質の悪い小麦粉だったのじゃないか?



それほど不味かった記憶がデンマンさんの記憶にはこびりついているのですか?


そうですよ。。。 ちょっとばかりでも 水分を含むとすっぱくなるのです。。。 それを食べると、吐き気に襲われるほどでしたよ。。。



佐野洋子



(sanoyoko2.jpg)


(1938年6月28日 - 2010年11月5日)


 


日本の絵本作家、エッセイスト。


代表作として、絵本『100万回生きたねこ』(1977年)。
エッセイ、児童文学、脚本、小説、海外絵本の翻訳も手がけた。


1938年、満鉄調査部勤務の父利一、母シズの間に、長女(7人きょうだいの第二子)として北京で生まれる。


1942年に三弟(生後33日)、1947年の引き揚げ後に四弟(4歳)を亡くし、1948年(10歳)には大好きであった兄(11歳)を亡くしている。
幼少期の肉親との死別は、後の作風にも影響を与えている。
また、母シズとの関係は確執を含んだもので、「家族」を題材とする多くのエッセイが書かれた。


1962年、武蔵野美術大学デザイン科卒。
卒業後、白木屋宣伝部にデザイナー(イラストレーター)として入社。
このころ、最初の結婚をした。


1966年の冬に単身渡欧し、1967年から半年、ベルリン造形大学でリトグラフを学ぶ。
1968年に帰国、同年に長男(イラストレーター・画家の広瀬弦)誕生。


1980年離婚。
1982年に初のエッセイ集『私の猫たち許してほしい』を出版。
1983年に童話『わたしが妹だったとき』で第1回新美南吉児童文学賞を受賞。


1990年に谷川俊太郎と結婚した。
1996年に離婚。
1998年から2003年にかけては北軽井沢に転居。


2003年に紫綬褒章受章。2004年、エッセイ集『神も仏もありませぬ』で小林秀雄賞を受賞。
2004年には乳がんの摘出手術を受けたが、骨に転移。


2010年11月5日午前9時54分、乳がんのため東京都内の病院で死去した。72歳没。


最後のエッセイ集のタイトルは『死ぬ気まんまん』であった。




出典: 「佐野洋子」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



佐野さんが19歳の時というのは 1957(昭和32)年ですよ。。。 ちょうど僕が小学生で、まずいコッペパンの給食を食べていた頃です。。。 佐野さんがアメリカの雑誌 McCall の美味しそうなページを寮の自分の部屋に飾っている気持ちがわかりますよ。。。



佐野さんはデザインやイラストの勉強をしていたからではありませんか?


もちろん、それもあるだろうけれど、当時はケーキだとか、クロワッサンだとか、そういう西洋的な食べ物は、まず庶民には高くて手が出せなかった。。。 もちろん、そういうものは給食には出てきませんでしたよ。。。


つまり、佐野さんも壁に張られた雑誌のページの美味しそうなものを眺めながら、日本の庶民が食べる不味いものを口に入れて、白日夢の中でご馳走を食べている気分を味わっていたのですわねぇ~。。。


 



(mcall195a.jpg)



(mcall195c.jpg)



(mcall195d.jpg)



(mcall195e.jpg)


 



こうして、うまそうな写真を見ながら不味い物を食べていたのですよ。。。



(laugh16.gif)


 (すぐ下のページへ続く)


by denman1720 | 2019-04-18 02:50 | グルメ紀行 | Comments(0)

徒然に綴る面白いブログ


by denman1720