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中将湯と華宵御殿(PART 1)


 


中将湯と華宵御殿(PART 1)


 



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デンマンさん。。。 どういうわけで中将湯と華宵御殿というタイトルにしたのですか?



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面白いと思いませんかァ~。。。


中将湯も華宵御殿も初めて耳にする言葉ですわァ。。。 華宵御殿の中に中将湯というお風呂場があるのですか?


いや。。。 華宵御殿の中に中将湯という風呂場はありません。。。


じゃあ、どういうわけで上のようなタイトルにしたのですか?


あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。



小美術館のひととき



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イギリスの美術専門紙が発表した、2009年に世界で開かれた美術展の1日あたりの入場者数は、上位4位まで日本だったそうだ。


1位「国宝阿修羅展」(東京国立博物館 1日平均16,000人)
2位「正倉院展」(奈良国立博物館)
3位「皇室の名宝/日本美の華」(東京国立博物館)
4位「ルーヴル美術館展/17世紀ヨーロッパ絵画」(国立西洋美術館)


日本人の美術展好きが証明されたとある。


たいへん結構なことだ。
ダイナミックなスポーツや音楽、演劇などに比べ、美しいものをただ見るだけの美術館は投資対効果(ヤボですが)が低いと思うがこの人気だ。
私もよく出かける。
美術好きの人は平和を好むのだろう、そういう人々が大勢いることに人への信頼や安心感をおぼえる。
一方、伝える記事では「みんなが見ているものを自分も見たいという横並び意識もあるか」とある。


海外著名美術館の引っ越し展や、何年に一度もない国宝の公開もいいが、私は小さな美術館の常設展も好きだ。(略)


広大な東京大学の13ある門のひとつ、弥生門すぐ前の「弥生美術館」は挿絵の美術館だ。(略)


弥生美術館を作った鹿野琢見氏は宮城県の農家の一人息子に生まれ、刻苦勉励のすえ小学校代用教員から東北帝大に学び弁護士となった。


幼き日に魅了された高畠華宵の絵「さらば故郷!」の、志を立て郷関を出る少年にわが身を重ねていたが、昭和40年、華宵が兵庫県の老人ホームに逼塞しているのを知り、東京に招いて逗留させ、ファンと「華宵会」を作り、上野松坂屋で「高畠華宵展」を開き再評価にむすびつけた。


 



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41年、華宵は東大病院で鹿野氏に看取られ逝去。
作品群を預けられた氏は作品集刊行に全力を注ぎ、ついに自宅を華宵作品を常設して挿絵文化を展示研究する美術館に建て替えた。
私はこのことを報じた古い新聞記事を大切に持っている。


華宵に心酔するひと彼のみならず。
私も幼き日より華宵描く凛々しい少年、気高い乙女にいかにあこがれたことか。
それは今でも全く変わらない。


これは初恋だ。
弥生美術館にゆけば変わらぬ姿のままの初恋の人に会える。


 



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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




44-47ページ 『太田和彦の東京散歩、そして居酒屋』
著者: 太田和彦
2016年4月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社



でも、上の小文には どこにも中将湯も華宵御殿も出てないではありませんか!



あのねぇ~、僕は2009年に世界で開かれた美術展の1日あたりの入場者数は、上位4位まで日本だったそうだという個所に興味をそそられて上の小文を読み始めたのですよ。。。 実は僕も美術には関心がある。。。 僕は特にヌードを描くのが趣味なんですよう。。。


 



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あらっ。。。 上の2つともデンマンさんが描いたものだとは知りませんでしたわァ~。。。



あのねぇ~、白黒のデッサンは僕が描いたものだけれど、すぐ上のビキニのお姉さんは、僕が描いたものではありません。。。 アメブロのファシスト管理人がカットするかもしれないので、僕がビキニを穿かせただけです。。。


実際には、どなたが書いたものなのですか?


アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel 1823年9月28日 - 1889年1月23日)というフランスの画家が描いたものです。。。 もちろん、オリジナルはビキニを穿いてません。。。


高畠華宵という画家もヌードをたくさん描いているのですか?


いや。。。 ヌードと言っても次の程度です。。。


 



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でもねぇ~、学生時代に習作でヌードをたくさん描いていると思いますよ。。。



。。。で、デンマンさんも、高畠華宵の絵に影響を受けたのですか?


実は、上の文章を読むまで、僕は高畠華宵という画家のことを知らなかったのですよう。。。 で、ウィキペディアで調べたら次のように書いてあった。



高畠華宵(たかばたけ かしょう)


 


1888年4月6日 - 1966年7月31日


大正から昭和初期に活躍した、日本の画家である。
本名は、高畠幸吉。
愛媛県宇和島市裡町生まれ。
京都市立美術工芸学校日本画科卒業。
宇和島市長・衆議院議員を務めた高畠亀太郎は、実兄。


 


栄光の日々


上京して生活苦の中、1911年に「華宵」の名で描いた津村順天堂の「中将湯」広告画が一躍有名になる。



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アール・ヌーボーやユーゲントシュティール、特にオーブリー・ビアズリーの影響を受けたとされるシャープなペン画はそれまでの広告イラストとは一線を画したもので、そのモダンさは時代の注目を集めた。


その後『少女画報』(東京社)『少女倶楽部』『少年倶楽部』(いずれも講談社)『日本少年』『婦人世界』(いずれも実業之日本社)などの少女向け雑誌や少年雑誌、
婦人雑誌などに挿絵として描いた独特の美少年・美少女の絵や美人画は一世を風靡し、たちまち竹久夢二らと並ぶスター画家となった。


鎌倉・稲村ヶ崎一の谷(いちのやと)に建てた異国情緒あふれる豪邸は「華宵御殿」と呼ばれ、華宵の趣味が凝縮したものとして注目を集めた。



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華宵御殿には、全国の女性(とくに女学生)からのファンレターが殺到した。
極端な例では、地方の令嬢が華宵御殿見たさに家出するという事件も起こった。


一方高い人気を背景に、画料は華宵の言い値で決まっていたとされ、高騰に歯止めをかけようと1925年に交渉に訪れた『少年倶楽部』の加藤謙一らに対しては、寄稿の取りやめで応じたという。


しかし戦争色が色濃くなってきたこともあり、絶頂の1937年ごろから雑誌などの活動を停止。
一般大衆の間ではその爆発的人気は永続せず、戦後華々しいカムバックとはいかなかった。
1960年代に再評価を受けるまではやや歴史の中に埋もれた存在となっていた。


それでも完全に忘れ去られることはなく、昭和中後期における少年少女、婦人雑誌の人物の挿絵は華宵の影響を受けたものが多い。
漫画家の丸尾末広も華宵の画風に影響を受けていることがよく知られている。


 


失意の戦後と幸せな晩年


戦後しばらくは夢を抱いて渡米するも経済的・健康的にうまくいかず帰国するなど失意の日々を過ごし、子供向けの怪盗ルパンシリーズや童話などの挿絵仕事を細々と続けながらも全盛期とは比べ物にならないほど注目されない人生を送っていた。


晩年はかつて絶縁した実家の兄を頼るほど生活に困窮し、神戸の老人福祉施設に入っている。


しかし幼少の頃華宵の絵(とくに「さらば故郷!」)に感動した弁護士・鹿野琢見が華宵の現在を伝える記事を偶然雑誌で読み、本人と文通を開始した。
その後 華宵は「新・さらば故郷!」と題した水彩画を新たに描き、鹿野に贈っている。



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高畑(左)と鹿野 『定年時代』より


 


鹿野らの奮闘やかつて華宵の絵に熱狂した世代の要望により首都圏で回顧展が開催され、人気が爆発的に再燃した。
その人気の隆盛を見届けた直後の1966年7月31日に、東京にて鹿野と、かつて画料問題で対立した加藤謙一に見守られて生涯を閉じた。


 


弥生美術館 (東京都文京区)


3階にて鹿野らが集めた多くの作品が常設展示されている。
竹久夢二美術館が併設され、これらの美術館では華宵作品を中心として当時の風俗・ファッション・イラスト・少年少女の生活などを対象とする研究が積極的に行われている。




出典: 「高畠華宵」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



中将湯(ちゅうじょうとう)というのは、津村順天堂の薬のことですか?



そうなのです。。。 僕も知らなかった。。。 



中将湯



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津村順天堂は大和国(現在の奈良県)に生まれた初代津村重舎が上京し、日本橋に漢方薬局を開いたのが始まり。
津村が故郷から受け継いだ秘薬を元に改良され、創業と同時に、婦人保健薬「中将湯」を発売する。
その他にも1907年(明治40年)に胃腸薬「ヘルプ」を発売する。


1900年(明治33年)、中将湯を精製する過程で出るくずを従業員が持ち帰り風呂に入れたところ、夏のあせもが消え、冬には体がよく温まるという経験をヒントに、「くすり湯中将湯」を発売する。
さらにこれを改良・研究の結果を得て「バスクリン」となる。




出典: 「ツムラ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



でも。。。、でも。。。、写真の「華宵御殿」は“御殿”という感じよりも、なんだか“工場の裏庭”という感じがしますわねぇ~。。。 うふふふふふ。。。



確かに、言われてみれば、そんな感じですよねぇ~。。。


。。。で、どういうわけで、この記事の最初にお風呂屋さんの写真を貼り出したのですか?


小百合さんは見覚えがないですか?


ありませんわァ~。。。 初めて見る写真ですわァ~。。。


実は、小百合さんも写真の建物を見たことがあったのですよ。。。


どこで。。。?


行田ですよう。。。 去年の秋、僕が行田市に帰省したときですよ。。。 「さきたま古墳公園」へ行く途中、僕が子供の頃に通っていた銭湯を小百合さんが見たいというので、ちょっとばかり寄り道して 「中将湯」という銭湯を見に行ったのです。。。



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そしたら、ドアに貼紙がしてあって、「2017年8月31日を最後に営業を停止いたします」と書いてあったのですよう。。。



思い出しましたわ。。。



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2006年12月には、田山花袋の「田舎教師」にも出てくる歴史のある 上の写真の銭湯「柳の湯」も廃湯になっった。。。 行田には、もう銭湯はすべて無くなってしまったかもしれません。。。



つまり、華宵御殿を見ているうちに、廃湯になった「中将湯」を思い出したというわけですか?


いや。。。 そればかりじゃないのですよう。。。 僕は子供の頃に「どういうわけで“中将湯”という名前にしたのか?」 その風呂屋のおじいさんが陸軍中将だったのか? そんなわけないだろう? 僕は名前の由来を知りたかったけれど、誰も知っている人がいなかった。


。。。で、その名前の由来が分かったのですか?


分かりましたよ。。。 夏のあせもが消え、冬には体がよく温まるという経験をヒントに、「くすり湯中将湯」を発売すると書いてあるでしょう! 僕は知らなかったけれど、かつて高畠華宵が有名だったぐらいに、「くすり湯中将湯」も有名だったのですよう。。。


その薬の名前にあやかって「中将湯」浴場という名前にしたというのですか?


それ以外に考えられないでしょう!? たぶん、その当時、「中将湯」銭湯は、その薬を入れていたに違いない。。。



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 (すぐ下のページへ続く)


by denman1720 | 2018-08-19 03:18 | 日本語・日本文化 | Comments(0)

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